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執筆者の写真英雄 黒木

更新日:2022年12月17日


坂本繁二郎に「壁」という作品がある。

72歳の時の作品で、アトリエの白い壁面に能面がかけられている絵なのだが、壁に掛けてあることが分かるのは、能面を入れていた箱が下に描かれているからで、能面は笑みを浮かべながら、広い空間に浮かび上がってこちらを見つめているようで、シュールな味わいを持つ、私が最も好きな絵画の一つである。


久留米市の石橋文化センターの庭園内には、八女郡三河村(現八女市)にあったアトリエが移設され、能面が掛けられていた白い漆喰の壁面を今でも見ることが出来る。


この絵を見ると、いつも30代前半の自分を思い出す。

30歳の時、仕事で精神的に参ってしまい、半年間の休職の後1年後に退職、その後風邪の検査でたまたま腫瘍が見つかり、そのまま手術をして2年ほどの療養生活を送った。

私の30代前半には社会的な履歴が無い。


その頃、筑紫野市の山神ダムの近くに古民家を借りていて、この頃の里山での生活は私の精神に今でも大事な影響を持っていると思う。

社会から退避した何もしない日々の中で、眠れぬ夜と長い昼を過ごしていた。

それでも精神のリハビリにデッサンを始め(はじめは30秒ほどの集中力も維持できなかったが)、森を散策し、野生ランや山野草に親しみ、若干の野菜を作り、だんだんと絵画を描く事ができるようになっていった。


その頃よく見ていたのが阪本繁二郎の画集である。

坂本繁二郎にはそれ以前から興味があり画集や文集を集めていたが、この頃特によく見ていたのがアサヒグラフ別冊で、作品の余白にある作成年の横に何歳の時に描いたのかをメモし、「壁」が72歳の作と知ったのもこの時である。


自分が同じ年齢になった時に、この様な絵を描くことが出来るか?

「壁」は、年齢を感じさせない新しさと緊張を持っており、私はシュールレアリスムの作品としてこの絵を眺めていた。


具象絵画は「もの」を描きながら「もの」超える世界を表現する。

坂本繁二郎は「存在」という文章の中で、「自分を虚にして始めて物の存在をよりよく認め、認めて自己の拡大となる。」としている。(坂本繁二郎文集 昭和45年 中央公論社より)


ただそれもこの絵を説明するには理屈っぽく、むしろ筆を遊ばせながら色と形を探し、能面の笑みに同化し、自由で高い境地から描かれた作品として捉えた方がより実感が湧く。

坂本繁二郎は、画面を能の舞台だと考えていたという。(アサヒグラフ作品解説より)


たまたま能面の笑いにシュールレアリズムを感じるが、むしろ笑いの持つ雰囲気は、寒山・拾得のそれに近く、この頃の坂本繁二郎の絵画には、精神的な安定と充実した仕事の中で生み出された「ゆとり」のようなものを感じる。


自分が72歳になった時、充実した精神状態で自分の絵画を描けているか?

今はそれに興味がある。


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写真:「壁」1954年(アサヒグラフ別冊1982年秋 美術特集坂本繁二郎より)




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