阪本善三という絵描きがいる。
熊本県の小国町に阪本善三美術館があるので知る人も多いだろう。
戦後抽象美術の代表的な画家である。
幸いなことに私の学生時代は先生の晩年と重なり、まだ時々は大学に来られていて、何回か作品を見て頂いた。
末席ではあるが、薫陶を受けた一人である。
一度だけご自宅のアトリエに伺う機会があり、製作中の作品を前に学生が輪を作った。
黒線を縦横に格子状に描いただけの200号ほどの作品で、「(作品を描いていて)自分が格子のこちら側にいるか向こう側にいるか、向こうとこっちを行ったり来たりしている」そんな話をされた事を覚えている。そして、「君たちはまだここに来てはいけない(いきなりこういう表現の絵を描いてはいけない)」とも言われた。
少し煙ったような光が差す、ほのかに明るいアトリエで先生の言葉が現実感なく心に届いて、白昼夢のような経験だった。
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先生が戦争による火災で住まいと作品を失い、熊本に戻られ、自然を学ぼうと外輪山で全身で自然と向き合っていた頃の話である。
「ここの視界は大きく自然は広大無限に広がってその大きな空間は真に壮大であった。」
「目の前の自然は、頭のてっぺんから足の爪先まで連(つな)がって調和し、トゲトゲした強さなどどこにもないくせ、どうすることも出来ないような大きさと温かさで厳然と実在している。」
「茫洋とした大自然の前で、画帖を開げるなど小さな行為に感じられ滑稽にさえ思えてくる。そんなある日、ふりむくと後ろにも同じような風景があった。等価値だなあと思った。」
「縦、横、前、後とひろがっている自然からは絵の広がりと同じだと考えていた。自然と向かいあっているうち、自然と私が最も調和した時程、美しさを強く感ずるものだとも教えられた。自然の中には無限の美しさがひそんでいて人間が謙虚で自然から学ぼうとすれば、自然はまた限りなく教えてくれるものだとも知ることが出来た。」
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阿蘇の大自然の中、一人の絵描きが自然とその空間を感じようと、それだけのために全力で眼前の自然を見つめ、さらに空間を捉えようとしたその先に、その空間の中にいる自分さえも空間を構成する一部だと気付き、高い視点からすべてが等価値であると体現していくその発想点の奇抜さと、自分というものを消し去り、謙虚に自然と調和しようとした姿は、一人の人間の現実の姿を超え、物語の一節のようでもある。
その体現があったからこそ、自ら描く格子の空間を自由に行き来しながら制作されていたんだと、改めてそう思う。
「すべてが等価値だと思った」このくだりが好きで、今でも展覧会の図録を持ち出しては、時々読んでいる。
引用(「生きざまを証したい」日本談義No,321 昭和52年8月)
昭和60年熊本美術館 坂本善三展図録より
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